七十三串目:おでん屋養成ギプス
先日話したとおり、昼呑み大好きな私に3月は2回も大きなイベントがありました。
「静岡おでんフェア2015」「SBSラジオ祭り」これは2週連続で楽しめるな!というウハウハ気分で待っていたのですが・・・現実は厳しく日曜日に仕込をしなければならない状況になり外出できませんでした。
・・・残念な思いもありますがこれも皆さんのおかげと感謝しています。
おでんフェアも大成功という噂を聞いて行けなかったのは本当に残念でした。SBSラジオ祭りはがんばって後半の時間で行ってみたのですが雨が降ってしまい・・・残念な昼呑みになってしまいました。
寒い時期はおでんが恋しくなりますが、”おでん”という響きは個人的にいろいろな思いが巡ります。
そう、おでんで思い出すのは子どもの頃のこと。両親は屋台をやっていました。
青葉のおでん街とかおでんフェアがあると思い入れがあるのはその頃の記憶が鮮明に蘇るからです。
両親は私が小学校1年生くらいまで日吉町の駅前で屋台をひいておでんを売っていました。
その後、道路で屋台営業が出来なくなる時代になり、普通のところで食堂をやるようになりました。
毎日遅くまで働いていた両親とは夜一緒にいることが少なく寂しかったのですが、雨や台風の時はお店がお休みになり両親が家にいるのですごく嬉しかった思い出があります。
大人になるにつれて幼少時の"おでん屋養成ギプス"がついていたのか知らないけれど「自分の店を持ってみたい!」と言う願望を持っていたんだと思います。
いつも仕事が終わるとお客さんで行っていた鬼の家さんは料理が美味しいのでよく寄っていました。
※当時伝馬町(今で言えばココイチの隣)で営業していました。
自分の店を持つための修行先を鬼の家(=親方コラムによく出てくる"おにのや"さんです)と決めて親方に「弟子入りさせて欲しい!」とお願いしたことがありました。もう30年位前の話です。
「鬼の家さんのようなお店が出来たら良いな!」と思っていたので弟子入りの話をしたのですが「忙しいお店に行った方が かさい君の勉強になるから!」と言われ「ふじ井」さんという焼き鳥屋さんを紹介していただきました。
※当時、ふじ井さんは北街道新静岡センター(現:セノバ)近くで営業していましたが移転の話があり現在は両替町で営業しています。このふじ井さんには5年ほど勤めました。
修行を始めてから30年になりますがその間にいろいろなことがありましたが、自分の店を持つきっかけを作ってくれたのが鬼の家さんです。
時間が経ち鬼の家さんから少し遠のいていたのですが最近は ほぼ毎週のように通って親方の料理を食べながら勉強させていただいています。